調べたことをまとめます

日本でいちばん社員のやる気がある会社 山田昭男

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日本で一番休みが少ないのに給与は地域内トップレベルというホワイト企業、未来工業株式会社の経営論について創業者が語った本。

具体的にどれくらいホワイトかというと、年間休日140日+有給休暇最大40日、労働時間は一日7時間15分、残業もノルマもない[1]。岐阜県に本社を置きながら平均年収は600万円以上[2]。岐阜県の平均年収は東京都より約150万円低いので[3][4]、東京で言う平均年収800万円の企業だと考えるとかなり高い。年間労働時間を考えると時給もかなり高いだろう。更に「報・連・相」を禁止しており、社長が各部署に口を出さず、仕事の裁量を大きく社員に任せている。

 

なぜこのような経営が可能なのか。これを実現した社員のモチベーションをいかに上げるかという経営方針について、涙ぐましい努力と熱い哲学が書かれている。内容を簡単に紹介する。

 

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 そもそも、社員にやる気がないということの裏には“不満”がある。私は、その不満を一つひとつ消していくのが社長の仕事だと思っている。給料は安い、休みはない、何から何までがんじがらめの会社で働いていても楽しいはずはないし、そんな会社のために努力しようという気が起きてくるはずがない。だから、私ははずせる制約はできるだけはずそうと考えている。

 

日本の中小企業をみると、「社員を低賃金で長時間こき使ったほうがトクだ」と考えている経営者が少なくない。だが、本当にそうだろうか。中小企業には凡人が集まっている。ズバ抜けた能力をもっている者が多いわけでもない。その社員に不満をもたれたら、ただ給料をもらうために会社に来ているだけという状態になり、目も当てられない結果を招くことになってしまう。

 せいぜい、社員に不満をもたれないようにして、それなりにがんばってもらうしかないのではないか。

 

じゃあ、やる気を起こさせるにはどうするのか?社員にしてみれば、高い給料がいちばんだろうが、それには限度がある。儲けが減ったからといって給料を下げれば、社員は生活設計もできない。安定した給料を支払っていくことが最優先課題だから、給料は世間相場よりややよいぐらいの水準を目指すことになる。

それ以外に何ができるかといえば、それが労働時間の短縮というわけだ。それなら、みんなが頭を使って工夫すれば実現できるはずだ。

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ここで面白いのは、創業者が知ってやっていたのかは分からないが、ハーズバーグの理論を効率的に利用していることである。

「ハーズバーグの動機づけ・衛生理論」を簡単に言うと、人間には苦痛を避けようとする動物的な欲求と、心理的に成長しようとする人間的欲求の2つがあるという考え方である[5]。

 

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          図 ハーズバーグの二要因理論

 

この理論に当てはめて未来工業を見てみると、苦痛を避けようとする動物的な欲求は見事に満たされ、心理的に成長しようとする人間的欲求も恐らく満たされていることが推測できる。

「不満足」を招く要因

◎会社の方針と管理 → なるべく制約をはずすことを目標している

◎監督、監督者との関係 → 報連相禁止

◎労働条件、給与 → 休みは日本一、給与は安定して地域トップレベ

?同僚との関係 → 不明。だがこれだけ好待遇ならきっと良いはず

◎個人生活 → 労働時間が一日7時間15分なら個人生活も充実

 

「満足」を招く要因

◎責任、承認 → 報連相禁止で裁量が大きい

○達成、成長 → 不明だが、裁量が大きければ達成や成長も大きいはず

○仕事そのもの → 不明。だが「日本ではじめて」の製品を作ろうとしていることから、それなりにあるはず

?昇進 → 不明

 

 

ここまで見て、これだけ社員思いの経営をしていた創業者はさぞ人として立派なのだろう、と思うかもしれないが、この点に関しては全くそんなことはなく、むしろかなり奔放で酷いこともしている。

まず創業者は元々社長子息で、新卒で親の会社に入り、若い頃は会社で二番目に給料を多くもらっておきながら頭の中は劇団のことばかりだったようだ。(当時日本は演劇全盛期の時代だった)

地元の仲間と劇団「未来座」を結成し、座長兼舞台監督を務めた。午後4時には会社を抜け出して劇団へ行き、給料もほとんどつぎ込んでいたらしい。15年以上もそんな生活を続け、結婚しても変わらなかったため、とうとう親から勘当、会社をクビになっている。

クビになってからは劇団仲間で会社を立ち上げ、親の会社時代の得意先に売り込んでいたようだが、かなりえげつないやり方の営業もしており、「俺ね、クビになってしまってね、これしか売るものないけど、これ買ってくれないとメシが食えんのよ。ちょっとカバンの中見せようか、ロープ入っとんのよ。買ってくれないなら、ここでぶらさがるで・・・」という具合である。

 

やはり何かを成し遂げるには、野心というか、己を貫き通す力が必要なんだなぁ。

 

 

 参考資料

[1] 「日本一休みが多い会社」「創業以来赤字なし」未来工業の創業者死去 - withnews(ウィズニュース)

http://withnews.jp/article/f0140730007qq000000000000000W00a0401qq000010536A

[2] 未来工業の年収給料【大卒高卒】や20~65歳の年齢別・役職別年収推移|平均年収.jp

http://heikinnenshu.jp/kogyo/miraikogyo.html

[3] 東京都の平均年収や生涯賃金・年齢別年収推移・職業別年収|年収ガイド

http://www.nenshuu.net/prefecture/pre/prefecture_pages.php?todoufuken=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD

[4] 岐阜県の平均年収や生涯賃金・年齢別年収推移・職業別年収|年収ガイド

http://www.nenshuu.net/prefecture/pre/prefecture_pages.php?todoufuken=%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C

[5] ハーズバーグの動機づけ・衛生理論 |モチベーション向上の法則

http://www.motivation-up.com/motivation/herzberg.html

松吉隆の 調性で読み解くクラシック 松吉隆

ヤマハ銀座店で音楽書ランキング2年連続1位として目立つ所に置かれていたベストセラー。題名にある通りクラシックを中心に、ひたすら「調性とは」を一冊丸々語ったアツい本。

作曲家はどうやって調を選ぶのか?なぜ長調は楽しくて短調は悲しいの?等のキャッチーな話が多く、音楽に詳しくない人でも(面白いかは別として)理解しやすい良書となっている。内容の一例を簡単に紹介する。

 

・調の選び方は使う楽器によって決まる

弦楽器はそれぞれの弦が完全5度の感覚で並んでいるため、バイオリンで言うならソラレミの4つの開放弦が生み出すト長調ニ長調などが演奏しやすい。開放弦を少し抑えれば良いので、#系の音は得意。

木管楽器では一番低い音を基音とするのでフルートやオーボエではハ長調が、クラリネットではイ長調変ロ長調などが吹きやすい。

金管楽器に至っては、元々は一番低い音の倍音しか出ないので「ド」の長さの管では「ドミソド」しか使えない。トランペットではハ長調が吹きやすい。(ただしそこに革新を与えたのがピストン(バルブ)機構であり、ピストンを押せば「ファ」や「ソ」になる管を作っておけば「ファラドファ」や「ソシレソ」が作れて、これらを合わせて「ドレミファソラシ」の音階が作れるようになった。)

 

このような楽器の事情から編み出される全体の調性はざっくり言って以下のようなものになる。弦楽器が鳴りやすい調では最大派閥の弦楽器がたっぷりとした倍音で鳴るのでオーケストラの響きの豊かさが確保される。チャイコフスキー バイオリン協奏曲 ニ長調(D maj)など。

一方、木管楽器が鳴りやすい調では、木管楽器の色彩や細かいパッセージを活かした色彩感のある響きを得られる。有名なクラリネットポルカ変ロ長調(Bb maj)。

そして、金管楽器が鳴りやすい調はファンファーレのような圧倒的なパワーが出せる。ホルスト 組曲‹惑星›より木星 変ホ長調(Eb maj)など。

更に、フラットが多すぎて多くの楽器ではくすんだ音になる変ニ長調(Db maj)は、ピアノでは黒鍵が多くて弾きやすく、ショパンの子犬のワルツやドビュッシーの月の光などの名曲がある。変ニ長調のくすんだ響きを逆にとってオーケストラに使った曲としてドヴォルザークの「家路」(交響曲9番第2楽章)が挙げられているが、個人的にはジャズスタンダードのNica’s Dream (Horace Silver作曲) なんかもそうじゃないかと思う。

 

その他、純正律平均律の違い、平均律がいかに合理的か(平均律はどの調でも使いやすい分、所々小さなずれが多いが、現代はビブラートもするし、メリットがデメリットを上回ること)、日本の陽旋法「かごめかごめ」と陰旋法「さくらさくら」の記述、巻末付録の「それぞれの調性の特徴と名曲」、音楽家(ムジクス)と楽士(カントル)などの話も面白い。

 

しかしながら、多くの人が退屈しないよう分かりやすく書いているため、その分原理的な説明はあまりなく、ある程度知識や興味のある人が読むと「ここで説明終わらせるの?逆にわかりにくくない?」という印象を受けるかもしれない。例えば、純正律平均律の原理は説明するのに、同列で比較として上げたピタゴラス音律については原理の説明は全く無い。純正律の説明までしたのならついでに説明すれば良いのに…と思ってしまうが、きっとベストセラーになるためには面倒くさい話は要らないのだろう。

 

また、量としては少ないが感覚的で主観的な話もあり、調性に色を感じる(共感覚というやつ)音楽家の話として「ヘ長調は緑、ト長調が青、ハ長調は赤…」という話があったり、「天体の音楽」として太陽を中心に惑星が並ぶ様子を音階にたとえてみたり、作者が提案する「音量子モデル(未完成)」では原子核を中心に電子が軌道を描く様子を、基音を中心に整数比の軌道を倍音となる音が周回しているモデルが紹介されている。

音量子モデルでは、いわゆるレーザーの原理のような、原子が外部からエネルギーを吸収して励起状態になった後、遷移(エネルギーを放出)して基底状態に戻る様を、次のように例えている。トニカ(ドミソのような安定な和音)の状態にテンションをかけてドミナント(ドファシのような緊張した和音)になった状態から、トニカに戻る際にエネルギーを放出、つまり人間にはっきりとしたハーモニーの変換を感じさせる…らしい。

まず最初の「テンションをかける」ためのエネルギーはどこから来たのか?人間の感覚がエネルギーになるのか?そもそも電子雲として扱うのではなく太陽のまわりを公転する惑星のように扱うのならば、量子モデルではなく中学生向けの原子模型の方が良いんじゃないか?などの疑問が湧いてしまうが、作者は「音楽はどうしても感覚として主観的になってしまうが、それをどこまで科学として客観的にできるか」を目指すべきと考えているそうなので、今は未完でも、今後の研究に期待しよう、ということらしい。

 

最後の方は言いがかりのような感想になってしまったが、全体を通して、分かりやすく調性を語った良書であることは間違いない。

 

 

関連記事(そのうち書きたい):音律と音階の科学 小方厚

本書で省略されたピタゴラス音律などについても詳しく解説された本。

人生に疲れたらスペイン巡礼 小野美由紀

スペインに旅行へ行った時に下調べで読んだ本(結果的には普通のスペイン旅行にはあまり役に立たなかった)。

カトリック大巡礼路の一つ、カミーノ・デ・サンティアゴでの巡礼について書かれている。ヨーロッパはもちろん、様々な国の人がやってくるこの巡礼路。やるべきことはただ一つ、「歩くこと」。100kmから証明書をもらえ、全ルートは800km。ガリシア地方にある大聖堂を目指して、ひたすら歩く。信仰を問わず、誰もに開かれているこの道の醍醐味を語った一冊。

巡礼手帳を持っていれば巡礼路沿いに点在する格安の巡礼宿に泊まれ(なんと一泊5~10ユーロ)、格安で旅を楽しめる。世界中の人々と、巡礼という一つの目的を通じて知り合い、様々な人生観に触れられる。何とも楽しそうなお祭りだ。

 

筆者はブロガーやコラムニストでもあるらしく、写真も多くサクッと読める本になっている。内容は3部構成で、第1章は、なぜ巡礼なの?キリスト教徒じゃなくても大丈夫?英語やスペイン語の準備は必要?などの巡礼の概要、第2章は著者の体験談、第3章はいざ巡礼となった際の旅の準備と、ついでに見て周れるイベントや観光地、現地で食べられる料理などが紹介されている。

中でも情熱が感じられるのは第2章だろう。自称メンヘラの筆者が、会社員時代にパニック障害に陥り通勤電車にも乗れなくなった状態から、巡礼を通してどれだけ救われていったかが書かれている。巡礼の間、色々な人に尋ねられる「あなたはなぜ歩くの?」という問にも最初は答えられなかったが、最後は筆者なりの答えを出す。旅に全ては持っていけない。旅を続けるうちに荷物が減っていき、それでも残った物が本当に自分に必要なもの。

 

筆者がこの巡礼を通して出会った人との名言や、面白い会話を一部紹介する。

自分の家族や人生の悩みを解決していない人間は、たとえ大企業の重役に就いていても「あいつはマオ・レゾルビーダ(未解決の人間)だからな」と言われ、ブラジルでは信頼されない[1]。

サンパウロの大学を卒業し外資系企業でマーケティングの仕事をするエリートブラジル人のマルコスの言葉

会社の同期と競い合って少しでも良い評価をもらうことや、素敵なパートナーに巡り合うこと、そういうことを目指してたどり着いた場所は、自分が望んでいた場所ではなかった。自分が何になりたいかを決めて、それに向かって行動しなければいけない。

―障害者向けのセラピストをするアメリカ人の元証券会社勤務キャリアウーマンのリタとの会話からの筆者の気づき

 

確かに、パニック障害になって仕事をやめて、スペインで巡礼の旅をしたらさぞやドラマティックで充実した人生だろう。しかし多くの人は日々の不満はあっても分かりやすいドン底にはなかなか落ちないし、奇跡的な救いもない。スペイン巡礼に行かなくとも周りに相談できる仲間はいるし、自分が何をしたいかもある程度分かっている。

そういった人には巡礼は必要ないのだろうか?と思ってしまうけれど、それでもスペインの田舎料理とワイン、世界遺産建築や見渡す限りのひまわり畑などの絶景が楽しめるヨーロッパ旅行が一日15ユーロ(2000円弱)で出来るのは大変魅力的だし、巡礼路にも点在する古城や宮殿を国が買い取ってホテルにした「パラドール」にも泊まってみたい。辺り一面のワイン畑をつっきって歩いてみたいし、蛇口を捻ればワインが出て来るイラーチェの修道院[2]も行ってみたい。そう考えると、別に自分探しや人生のリセットという目標がなくとも、普通に面白そうな旅路に思える。

 

そうは言ってもきっかけが無いとなかなか巡礼に行こうとは思わないが、自分もいつか人生に疲れ切ってもうだめだという日が来たら、カミーノ・デ・サンティアゴを巡礼してみようと思った。

 

 

参考文献

[1] 体罰について | 世界1年生 小野美由紀のブログ (この本の筆者のブログです)

http://onomiyuki.com/?p=1979

[2] ワインの泉 イラーチェ修道院  世界遺産 – playsnews

http://playsnews.com/travel/europe/spain/post-2560/

フルーツパーラーにはない果物 瀬那和章

そろそろ運命の人に出会いたい、20代後半メーカー勤務の女性4人の恋模様を書いた小説。

本の帯で「リアルすぎる女心」を謳っているのに作者が男性名義なのが面白い。調べたらライトノベルの作家さんらしい。

 

会社の同期女子4人がフルーツパーラーに集まった時に一人が口にした、「フルーツパーラーにはない果物はなんでしょう?」という問いからストーリーは始まる。

その場では4人とも特に気にしていなかったその一言が、なんとなく頭から離れず、物語が進むにつれ重みを増し、最後には「フルーツパーラーにない果物は…自分だ…」と各自が実感し、ショックを受けるという、分かるような…分からないような…そんな話になっている。

 

その集まりでは、アプリを使った簡単なフルーツ占いもし、四者四様の結果が出る。

「イチゴになりたかったわけじゃない」すぐに恋人は出来るけど3ヶ月で飽きられる合コンクイーン、沢村。モテるための努力もするけど、それがアダになり個性が出せず、強烈な個性を持つマンゴーのような女に彼氏を奪われてしまう。そんな彼女は「とちおとめ」とか「あまおう」のようなブランド名がついていない、ただのイチゴに自分を重ねる。

「気がつくとレモン」周りに気を使ってお笑いキャラに徹してしまうぽっちゃり女子、森口。合コンに行っても、男性のメンツより場の盛り上がりを気にしてしまう。相手に好かれたい、相手を好きになりたいではなく、どれだけ笑わせられるか、というモチベーションで参加してしまう。そんな彼女は紅茶に酸味を与え、唐揚げの油っこさを抑え、ムニエルの下に敷かれる、メインにはなれない果物、レモンに自分を重ねる。

そのほかパイナップルやピーチも登場するが、この二人はあらすじを書いても面白くないので割愛する。(物語として一番強烈なのはお嬢様のピーチである。)

 

「こうしなくちゃいけない」という強迫観念のようなものに取り憑かれて自分が出せず、それぞれがお互いを羨ましく思いながら悶々と生きていた4人の女子が、最後には自分は自分の生き方でしか生きられないことを悟り、最終的に前を向いて生きていく様子が描かれている。

あらすじだけで言えば書店で人気の自己啓発本の類に近いかもしれないが、リアルな人情を感じる描写が多く、充分読める仕上がりになっている。「リスクを避けて生きてきたら理系大学を修士で出て大企業のメーカーに入っていた」なんて自己紹介はああそうだよなぁと非常に共感できる。思わず先週金曜ロードショーで放映された「耳をすませば」で主人公 雫に対してお父さんが言ったセリフを思い出します。

「よし雫、自分の信じる通りやってごらん。人と違う生き方はそりなりにしんどいぞ。何が起きても誰のせいにもできないからね。」

雫は作家になるという夢に向かって、目の前の困難にぶつかっていく。

大企業メーカー勤務はこれの正反対の生き方と言っても良い。おそらく多くのメーカー勤務の理系達は、みんなが大学や大学院まで行くから自分も進学するんだろうなと思いつつ進学し、学科で就職実績のある、待遇が良さそうである程度やり甲斐もありそうな企業に入社する。その過程でアカデミックの研究やバンドでは食っていけないという挫折や気付きもきっとあっただろう。人生の分かれ道の時々でリスクの少ない選択肢を選んでいたら、気づいたらその会社に居たという状況。子供の頃からその会社に入りたかったという人が一体どれほどいるかというとほぼゼロなんじゃないか。

 

君に届け」や「青空エール」のようなまぶしすぎる十代の青春は読む気になれないけれど、なんとなく甘酸っぱい恋愛小説が読みたい時にはお薦めできる一冊だと思う。

こんな街に「家」を買ってはいけない 牧野知弘

いわゆる読者の不安を煽る系の本。

まだ家を買うつもりもないけれど、下記の本の帯が目についたので読んでみた。

  • 東京などへの通勤に1時間以上
  • 駅からバスを利用する
  • 住宅地内の傾斜がきつい
  • 1970~80年代に開発された

 

帯にある通り、本書では上記の条件に当てはまる地域の住宅は資産価値の下落が著しいという内容がメインで語られている。これらの住宅は、高度経済成長期にいわゆるニュータウンとして開発された当時の新築を、子育て世代が高値で買ったものだが、40年経った現在では20%程度の価値でしかリセールできないこともあるそう。

かつて日本では、人口の増加と都市部への人口移動は右肩上がりであり、住宅の需要は増える一方で、「今家を買わなければ一生買えない」とされていた。そのため通勤に片道1時間半かける人も珍しくなかったようだ。具体的には、日本の生産年齢(15~64歳)人口は1990年をピークとし、人口は2010年頃まで増え続けていること[1]、またここ30年に渡って毎年10万人規模の人が東京へ移住しているデータなどが示されている。

しかし、人口が減少傾向にあり不動産の価値が上がる見込みもない現在、郊外のニュータウンに移り住む人はおらず、必然的に1970~80年頃に移り住んだ世代が取り残されることになる。当時子育て世代として新築を購入した30~40代も、今は70~80代。

 

かつて家を出て駅に出て電車に乗り降りするのは夫だけで、妻の多くは専業主婦で基本的には家から出なかった。そのためどの駅からも徒歩や自転車で来られる中心に店舗が立ち並び、毎日住民達が買い物に来ていた。ところが、ここで育った子どもたちは都心の会社に勤め、都心部の住宅地で家庭を築き、もうこの地には帰ってこない。若い頃は気風も良かった商店主達も、住民と共に高齢化し、店主の引退と共に店仕舞い。元気に買い物に出ていた専業主婦も近くのスーパーに車で出かけて食材を調達するようになる。ところが、今度はその専業主婦達が後期高齢者の時代を迎えると、車が無ければ買い物にも行けないが、高齢のため運転が厳しい。そんな住民が増えると近隣の商業施設は閉鎖され、さらに暮らしにくくなる。子供の数も減少し、学校は廃校、子育て世代が生活できなくなり、ますます街は高齢化が進む。

 

また、こうしたニュータウンの住宅は、親世代からすれば高値で買ったのだから資産として相続してほしいと思うものだが、子供からすると維持費もかかり面倒の元となってしまう可能性がある。

マンションでは月々の共益費がかかり、他の住民の滞納問題もある[2]。

戸建ての住宅では固定資産税を払い、修繕費を積み立てる必要がある。定期的に水道を流し、風を通すなどの管理も必要だ。空き家率が30%を超えるような地域では空き家にしておくだけで犯罪の温床になる危険もあり、かと言って解体を頼むなら約150万円程度の費用がかかり、更に住宅が建っていれば固定資産税はが6分の1になる減免措置が適用されたのに、安易に更地にすると税金がかさんでしまう(実際は雑種地などに申請して3割程度の減額を受けることも可能なようだ)。

 

ある時期に一気に開発された住宅地には同じような世代が住んでいて、その世代が老いる頃には街も荒廃していくというのは、冷静に考えれば当然である。本書は要するに、住宅を絶対的に価値のある資産として信用することはバブル期の古い常識であり、株や金融商品と同様に常に資産価値の増減が有ることを考慮にいれるべきという、極めて当然のことを言っている。ニュータウンのように一気に人気が高まった地域は下落が激しいし、人口が減少の一途をたどる田舎では住宅の価値も緩やかに単調減少していく。

 

現在日本では8軒に1軒が空き家。住宅の供給過剰により、そもそも住宅全般は資産価値が下落していく中で、せめてどのような所に住めば良いのか。この問いに、筆者なりの解がちゃんと示されていて好感が持てた。

  • 新陳代謝が激しい(移り住んでくる人もいる)街に住む
  • 子供が相続する頃には住宅の資産価値は無いものと思って住宅を買う

詳しくは説明しないが、大まかに上記のようなことが書かれていた。その他、相続をする時は相続人を1人にして揉めないようにする、土地が売れない時はダメ元でお隣さんに打診してみる(いわゆる「隣の土地は倍出しても買え」というやつ)、などの小手先の技が紹介されている。

 つまらないまとめではあるが、資産運用においては何をするにも新陳代謝、持続可能性、早期再建が重要となるらしい。

 

参考文献

[1] 日本の人口の推移 - 厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/dl/07.pdf

[2] 「持ち家」リスクを甘く見ている人が招く不幸 – 東洋経済オンライン
http://toyokeizai.net/articles/-/154728

国債って何?国の借金があることは良くないこと?

国債って何?と聞かれてまともに一対一の回答が出来なかったので、自分なりに調べてまとめました。


まず準備として、硬貨と紙幣の違いを考えます。

硬貨は日本政府が発行する「政府通貨」です。 [1]

硬貨の表には日本国と書いてあります。(日本国と書いてある方が表と言うこともできる。ただし5円玉のみ裏側。)
昔の通貨は硬貨のみでした。ローマ時代にはローマ金貨があり、ローマ帝国つまり政府が金貨を鋳造していました。
このように金を通貨価値の基準とする制度を金本位制といいます。金が貴重なため銀が金の代わりだった時代もあるらしいが、 [5][6]
大航海時代に大銀山が発見されて大量の銀が出回った結果ハイパーインフレが起こったこともあるらしい。[ただし銀の話は出典が曖昧なので話半分]

そういう訳で硬貨は金本位制時代からの文化であり、材料としての価値がある金属で硬貨は作られる。そのため硬貨の損傷や鋳潰しは法律で禁じられている。
また現代では硬貨はあくまで補助貨幣であり、21枚以上の硬貨による支払いは拒否することができる。


紙幣は日銀が発行する「銀行券」です。紙幣の表には日本銀行券と書いてあります。

銀行券はお金の金貨の預り証が起源です。
経済が発達し貧富の差が大きくなっていった際に、大量の硬貨は持ち歩くには重く、強盗などのリスクが生じました。
そのため金持ちは警備のある金庫に硬貨を預け、引き換えに預り証を受け取るという仕組みができました。
やがて金持ちはこの便利な預り証で売買を行うようになります。食材を買いに行った時も預り証を店主に渡します。
店主は好きな時に受け取った預り証を金庫に持っていけばいつでも硬貨と交換できるという訳です。
現代ではこの金庫番の役割を銀行が果たし、預り証は銀行券になっています。

このように、銀行券である紙幣を発行するには裏付けとなる資産が必ず必要となる。金本位制ならば同等の金が必要。

金本位制は非常に分かりやすいですが、社会が発達するにつれて問題点が出てきたため、管理通貨制度というものに変わっていきます。
その変遷について2つの説明を見つけました。どちらもそれっぽい説明なので両方紹介します。


・説明1
国際的な貿易が盛んになると、貿易赤字によって紙幣が海外へ流出する国が現れた。

銀行券である紙幣の流出は金の流出を意味するのでいずれ経済に悪影響が出るようになります。
[この原理は直感的には理解できるけど、なんか納得いかない。]
このため金とは無関係に紙幣を発行できる「管理通貨制度」ができました。

管理通貨制度では国債が裏付けの資産となります。
日銀が国債を民間銀行から買い入れて日銀券(紙幣)を発行します。


・説明2
金本位制では、銀行券の発行枚数が、銀行の手持ちの金貨の量によって制限されてしまう。
一応、大きな社会では金貨を一斉に支払うということはないので金の保有量よりも多くの銀行券を発行することが可能だが、
どこまで手持ちの金よりも多く銀行券が発行できるかの線引きは難しい。
多くし過ぎると預金の引き出しに対応できず、恐慌が起こってしまうし、少なすぎると実態経済によって日々の取り引きのために必要な銀行券の量を賄うことができず、
それによって経済成長が阻まれてしまう。
こうした事態を避けるため、通貨の発行量を銀行の保有する金の量によって決めるのではなく、
中央銀行を中心として、人為的に管理しようとした制度が管理通貨制度である。

管理通貨制では、各銀行が勝手に銀行券を発行するのではなく、中央銀行が発行する銀行券のみが認められている。 [4]
金本位制では金の量によって銀行券の流通量が制限されたが、管理通貨制では市中銀行中央銀行から借り入れているお金の量によって制限される。

 

国債についての説明は満足しました。ここで、国債と言えば国の借金のことであって、国の借金があることは経済的に良くないことなのだ、と聞いたことがあるので、

それについても本当かどうか調べてみました。

 

日本の借金というのは基本的に国債であり、 [2] 日本国債は日本人や日本企業にしか販売されていない。
ある意味で安定と言えるが、借金である以上返済すべきなのだろうか?
例えば、逆に他国にお金を貸す立場であった場合、国として優位に立てるはず。

しかし、日本にお金が余っていたバブル期でさえ、借金返済を繰り上げなかったことからも [要出典。気が向いたら調べるかも。]、国の借金は意図的なものがあると想像できます。

国の借金の必要性について通貨の流通の面から説明した面白い例を見つけたので紹介します。 [3]

 

-----(引用)------

借金があった方が良いです。
経済には借金が必要で、日本の問題は借金不足です。

お金の流通を考えないといけません。
仮に質問者様に1000円の収入があったとします。
ここから質問者様が100円を貯蓄し、麦を900円で購入すると、麦生産者に900円が移動します。
ここから麦生産者が100円を貯蓄し、肉を800円で購入すると、肉生産者に800円が移動します。
ここから肉生産者が100円を貯蓄し…という事を繰り返すと、経済で流通するお金が常に100円ずつ減少してしまいます。
収入の全てを消費に使う人は少なく、貯蓄した分だけ国民の収入が減少していくという事です。

このため貯蓄を預かる銀行は、国民の預金を誰かに貸して使わせていて、これにより経済で流通するお金が維持されます。
預貯金が0円の国民も多いですが、貯蓄は預金だけではなく、保険料や年金もそうです。
保険会社に支払う保険料は、最終的に払い戻す必要があるので消費に使う事は出来ず、預かっているだけです。
消費に使われていないお金は全て貯蓄で、保険会社は預かっているお金を誰かに貸すなどして運用しています。
この貯蓄したお金を借りて消費する人がいなければ不景気になる事がわかります。

-----(引用終わり)-----

 

非常に理路整然としていて分かりやすい。

というか、金本位制から管理通過制度への移行の説明2で言ってたことと同じことを言っているなぁ。そういうことだったのか。
国債を減らして国の借金を減らすことが、必ずしも良いこととは限らないんだなぁ、というのが今日の一番の発見でした。

終わり。


参考文献など

[1] 硬貨と紙幣の違いは 政府通貨と銀行券の違い - ネコでもわかる経済の話(2)
https://sites.google.com/site/nekodemokeizai/nekodemo2/kouka_shihei

[2] 日銀がお札を刷ると「儲かる」のか? – 磯崎哲也 – アゴラ 言論プラットフォーム
http://agora-web.jp/archives/954692.html

[3] 国債を返済するために、紙幣をどんどん刷ればいいのではないですか... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13107674293

[4] 管理通貨制度とはなんですか?金本位制と何か関係があるのでしょうか?教え... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1240387417

[5] 金本位制 - 金融用語辞典 - 金融大学
http://www.findai.com/yogo/0288.htm

[6] 金本位制ってなんですか?銀本位制っていうのも... - 日本史 - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12117335747


ここまで列挙して、ネットのコピペだけじゃなくて本も読もうと思った。
直接引用した部分以外もほとんど文献からの切り貼りです。

ブログ始めました

報告書を書くのが下手すぎてむかつくので、ブログを書いて文章力を養っていこうと思います。
まともな報告書が書けるようになって上司に呆れられなくなるのが目標です。

 

せっかくなので調べたことや本の内容などを文章にまとめて、考えを整理したいと思います。